昭和レトロな和洋折衷の復興建築が並ぶまち・豊岡を歩く
兵庫県豊岡市の豊岡駅周辺は、但馬の中心地としてビルや商店街が立ち並ぶ、但馬の中では有数の人口が密集した地域です。
豊岡駅から東側に広がる町並みは、鉄道開通をきっかけとして大正時代につくられた大豊岡構想と呼ばれる都市計画がベースとなっています。
また、大正末期に発生した「北但大震災」からの復興時に建設され、その後現在もその姿をとどめている建物(復興建築)が多くあります。
約100年前の壮大な都市計画を想像しながら昭和レトロな建物が残る豊岡のまちを歩いてみましょう。
豊岡駅のホームには、なんとカバンの自動販売機があります。
豊岡は、「かばんのまち」としても知られており、国内唯一の鞄関連企業の集積地である「豊岡鞄団地」が設置されています。
地域ブランドとして商標登録されている「豊岡鞄」は、東京駅前に専門店を出店するなど全国から注目を集めています。
この自動販売機では、ミニサイズのトートバッグが1,500円で購入することができます。
エコバックにいかがでしょうか?
豊岡駅の3、4番ホームの北側には、見かけることが少なくなってきた鳥居タイプのレトロな駅名標が残っています。
豊岡駅は、JR山陰本線の特急「こうのとり」「きのさき」「はまかぜ」を始め、すべての旅客列車が停車する豊岡市の代表駅です。
1909年(明治42)年に八鹿駅から延伸したことにより開通しました。
1929年(昭和4)年に天橋立や宮津方面に向かう宮津線が開通、山陰線との接続駅となり、現在の京都丹後鉄道(丹鉄)へ受け継がれています。
豊岡駅舎は、3代目にあたり2011年(平成23)に現在の駅舎になりました。
この駅舎は、豊岡市がコウノトリの自然保護で有名なことからコウノトリが羽ばたくイメージにデザインされています。
今回は、豊岡駅の東口をスタート地点として散策します。
豊岡駅の構内にある豊岡観光案内所では、豊岡周辺の観光案内やマップなどをもらうことができます。
豊岡観光案内所
住所:兵庫県豊岡市大手町3番2号(JR豊岡駅舎内)
営業時間:午前9時00分~午後5時30分
休業日:月曜日・年末年始
電話:0796-22-8111
豊岡駅前にはAity-アイティ-と呼ばれる大型の商業施設があります。
スーパーマーケットや専門店街、子育て支援センターなど豊岡市民なじみの場所です。
豊岡のお土産なども買うことができますので帰りの電車の待ち時間などに立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
駅を出てアイティの裏側にあるコンビニエンスストア横の寿通りを進みます。
この通りは、駅からみると斜め方向にまっすぐ伸びています。
このような駅から放射状に延びる道路を設計は、欧米の都市計画を参考にしているそうです。
寿通りには、築90年の古民家を活用したシェアスペース、コトブキ荘があります。
仕事場でも趣味の場でも会社でも家でもない第3の居場所づくりがコンセプトになっているとのこと。
一部屋の貸切や、2畳ほどのスペースを一ヶ月単位でレンタルすることができます。
コトブキ荘の軒下には、赤いベンガラが塗られていた跡を見ることができます。
ベンガラはおしゃれでもあり防腐の目的もあったそうです。
豊岡市街地の古い民家には、同じようなベンガラ塗の跡をみることができます。
コトブキ荘
住所:豊岡市寿町7-3
https://kotobukisou73.jimdofree.com/
寿通りを歩いていると、通りの真ん中を走る農業用の水路「新川水路」を横切ります。
両側が植木などで装飾されていているのも欧米の様式を取り入れたものだそうです。
植木に隙間が空いていて、冬場はこの水路に雪を捨てることができるように工夫されています。
寿通をすすむと、日本では数少ない信号のない寿ロータリーの交差点にたどりつきます。
このロータリーは、大正時代の耕地整理によって造られたもので、凱旋門のあるパリのエトワール広場を参考に整備されました。
交差点は六差路になっており初めて通ると、どの道に行っていいのか迷ってしまうことも多いようです。
ロータリーや寿通りのような欧米の都市計画を参考にした豊岡のまちづくりは、大正時代半ばから昭和初期にかけて旧豊岡町がすすめた大豊岡構想に基づいて計画されています。
当時描かれた壮大な構想に思いを馳せることができますね。
ロータリーの中央にある公園には、中江種造翁の像が建てられています。
中江種造は、明治の鉱山王として財をなし、上水道建設費を全額寄付して豊岡のまちの発展に大きく貢献した人物です。
上下水道の収益金を奨学基金にという条件で寄付が行われており、現在も奨学金制度は続けられているとのことです。
ロータリーの六差路を、「出石そば」のお店を目印に東向きに進むと、道のつきあたりにお寺の門が見えます。
この辺りは、明治期以前より、お寺が複数立ち並んでいる場所だそうです。
左折して少し歩いたところに、緑青の味わい深い建物が見えてきます。
この建物は、1920年代頃の建物で防火対策として外壁にうろこ状に銅板が張られていることからうろこの家と呼ばれています。
よく見るときめこまやかな細工が随所に施され、趣のある佇まいを見せています。
豊岡の市街地周辺には、この建物のように1925年(大正14)に発生した北但大震災の被災後に建てられた昭和初期の建物が数多く残っており豊岡復興建築群として保存活用されています。震災後に起きた火災を教訓に、防火建築の促進を目的にした補助制度が創設された結果、このような洋風の建物が建てられたのだそうです。
ここからは、豊岡の街中に残る復興建築の建物を中心に豊岡のまちを巡っていきたいと思います。
うろこの家から、南向きに2分ほど歩くと豊岡劇場に到着します。
豊岡劇場は、1927年(昭和2)に芝居小屋として建てられた鉄筋コンクリート造りの復興建築です。
80年以上親しまれてきた映画館でしたが、2012年(平成24)に閉館となりました。
しかし、2014年(平成26)に地元有志により復活プロジェクトが立ち上がり再開され、映画はもちろんカフェやバーなども楽しめるなど映画だけではない新しい「場」として生まれ変わりました。
建物上部に残る八芒星のレリーフや、外観の意匠が建設当時の面影を今に伝えています。
豊岡劇場
住所:豊岡市元町10-18
電話:0796-34-6256
http://toyogeki.jp
次の目的地である高石医院・豊岡画廊の手前にある路地をのぞいてみると但馬の漁師町によく見られる焼き杉板の路地が突如あらわれました。
かつては、この路地を抜けると円山川の渡し場があり交易がおこなわれていたそうで、その名残だと言われています。
まるで北前船の交易がさかんに行われていた竹野浜の路地を彷彿とさせるような風景ですね。
豊岡劇場から歩いて2~3分のところにあるのが高石医院・豊岡画廊です。
昭和初期に但馬貯蓄銀行本店として建てられた復興建築で、その後労働基準監督署などを経て2012年(平成24)からは医院とギャラリーとして利用されています。
正面にある柱には、ギリシア風の化粧柱など凝った意匠が見られます。
豊岡の復興建築は、表に面しているところは洋風に、後ろの部分は和風で建てられている和洋折衷の建築となっているところが多いです。
正面から見ると一見、コンクリート造りの洋風の建物に見えますが側面から見ると前の部分だけで建物の後ろ部分は瓦屋根や漆喰の壁など日本的な建物であることが分かります。
高石医院から少し南に行った交差点を直進するとカバンストリート(宵田商店街)があります。
その名の通り豊岡鞄のお店が並んでおり買い物を楽しむことができます。
豊岡駅にあった鞄の自動販売機がこちらにも設置されています。
お時間のある方はこちらで豊岡鞄の買い物などいかがでしょうか?
また、その交差点から西向きである駅方向の大開通には、駅まで続く約800mの豊岡駅通商店街(サンストークアベニュー)があります。
ストークとは英語でコウノトリを意味し、コウノトリキャラクター「サンストちゃん」が描かれた表示が駅まで並んでいます。
歩道には、コウノトリをデザインした水道メーターの蓋やタイルが埋め込まれていて楽しみながら歩くことができます。
サンストークアベニューでは、様々な復興建築を見ることができます。
サンストークアベニューを少し駅向きに歩くと右側に3軒連なる復興建築があらわれます。
震災復興建築を代表する建物のひとつです。
この3軒が一体として建てられましたが、それぞれが意匠を凝らした装飾窓や軒下の飾りを見ることができます。
復興建築の建物の屋根部分をよく見ると増築されていることがわかります。
これは但馬の雪対策のために増築されたものだと思われます。
意匠を凝らした復興建築の中でも、ひときわ目立つ斬新な建物が旧鈴木商店です。
王冠のような建物上部のデザインに加え、マークが鈴と木になっていておもしろいですね。
サンストークアベニューを駅方向へ進んだ先の交差点にある歩道橋からは復興建築群を眺めることができます。
下からは、商店街のアーケードにより見えにくい部分もありますが歩道橋の上からはじっくりと見ることができます。
歩道橋に上がって豊岡駅方面を見ると11軒連なって建てられた復興建築を見ることができます。
間口約60m×奥行約6mの11軒が一体で建築されており、それぞれが個性的な外観となっています。
歩道橋を降りてさらに駅方向へ進むと右手に現れるのが豊岡市役所の庁舎の前に立つ豊岡稽古堂です。
この建物も1927年(昭和2)の建築された復興建築で、3階部分は後年に増築されて、豊岡市役所の庁舎としても使用されていました。
2011年(平成23)に豊岡市役所の新庁舎建設に合わせて、近代化遺産として評価が高いことや北但大震災の記憶をとどめる貴重な建築物として保存活用されるようになりました。
現在は豊岡市議会の議場や貸しスペースとして活用され、建物前は広場は子供たちが遊ぶ憩いの場になっています。
ちなみに、現在の豊岡駅舎の窓は稽古堂のアーチ状の窓をもとにデザインされています。
豊岡稽古堂から大開通を挟んで向かい側にあるのがオーベルジュ豊岡1925です。
震災復興がほぼ成し遂げられてから建設されたルネッサンススタイルの銀行建築(旧兵庫県農工銀行)です。
外壁はタイル貼りで正面に壁柱を並べ重厚な外観になっています。
現在は、オーベルジュとして改修され、1階の吹き抜けは結婚式やコンサート会場としても使用されています。
さらに駅に向かって1~2分歩くとふれあい公設市場の入り口に到着します。
ふれあい公設市場も北但大震災後、復興事業として建築された市場で、木造の市場としては日本最古級であるといわれています。
南北70mに連なった市場は、生花、鮮魚、天ぷら、菓子などが販売されており、古くから市民の台所として親しまれています。
また、近年カフェやゲストハウスなど新たな店舗も加わりバラエティが豊かな市場になっています。
市場の内部は、アーケード式の合掌造り、敷石、のれんなど町家風になっています。
後継者不足で一時期店舗数も減少していましたが、昭和レトロを求めて移住する若者たちが入店するなど賑わいを取り戻しつつあります。
公設市場を抜けると青空市場と呼ばれる野外市場が設置されていて午前中を中心に地元野菜などの直売が行われています。
公設市場の中央付近に駅近くまで続く雰囲気のいい細い路地があります。
この路地は、「背割り線」と言って、商店街のある大開通と並行に通された生活道路です。
商店街は、店舗と店舗の間に隙間がないため、このような道が必要になったということです。
駅までの帰り道は、この裏路地を通ってよいですし、商店街のお店を見ながらゆっくりしてもいいですね。
豊岡の市街地には約100年前の人々が計画したまちづくりが色濃く残っていました。
北但大震災は、当時としては不幸な出来事ではありましたが、教訓とともに魅力的な復興建築の町並みを現在に伝えています。
商店街や豊岡鞄のお店で買い物を楽しむかたわら、個性的な和洋折衷の復興建築を見ながら散策してみるのはいかがでしょうか。
今回は、但馬の情報誌T2の地図ではなく、「豊岡まち塾」というグループが制作された「あるいてめぐるとよおかのまち」というパンフレットをもとにブログを作成しました。このマップは、豊岡観光案内所で配布されています。