関西をもっと楽しむライフスタイルマガジン
奈良盆地の真ん中にある磯城郡川西町。総面積5.94㎢の小さな町では、明治時代から貝殻を原料にした「貝ボタン」の製造が盛んに行われてきました。現在では全国トップシェアを誇ります。
貝ボタンの技術が日本に伝えられたのは明治中期。ドイツから神戸、大阪を経て奈良へと伝わったとされます。当時の川西町は大阪との舟運の集散地として栄え、物流とともに様々な情報交換の場となっていました。
また奈良では綿加工業や養蚕業が衰退の一途をたどっており、農閑期の新たな副業として取り入れられたことで生産の中心地になったといわれています。
原料は高瀬貝・黒蝶貝・白蝶貝など。南太平洋の海で採取された生きた貝だけが使用されます。刳り場(くりば)でボタンの原型をくり抜いた後、原型を厚みごとにより分け、厚みを調整。ボタンになった時に美しい層が表れるよう、砥石で貝殻の表裏を削ります。
削られた原型は膨らみや溝などの型を付け、穴をあけた後、角に丸みを付ける工程、つや出し・磨きの工程を経て完成。最後に人の目で一つひとつ厳しくチェックし、ようやく出荷に至ります。
❶ブランク
以前は原貝を直接輸入し日本でくり抜いていたが、近年は現地でくり抜いたもの(ブランク)を輸入している
❷摺り場
回転している砥石で平らにする作業
❸挽き場
ボタンの表面に膨らみや溝などの型を付ける工程
❹穴あけ
ボタンに穴をあける工程。細い穴や間隔の狭い穴などデザイン性もさまざま
❺化車(がしゃ)
ボタンのカドに丸みをつけ、小割や筋を取る工程
❻つや出し
テッポウと呼ばれる桶の中に熱湯とボタンを入れ、水溶液を点滴のように垂らしながら、約1時間回転させる
❼ロウつけ
伊保田ロウを付着させたモミや小麦などを、ボタンと一緒に「モミ化車」でさらに1時間程度回転させる
❽選別
❾完成
時代を経て分業制から一貫製造へ、オートメーション化も図られるなか、最後はやはり人の目。手間がかかりますがこれも品質を守るため。
1913年創業、国内シェアトップの「トモイ」3代目・伴井比呂志さんは「天然素材は手を抜こうと思えばいくらでも抜けて利益を出すことはできます。しかし後に信頼を失い、今後の仕事がなくなってしまう。だからこそ品質管理は徹底しています」と話します。
一方で昭和20~30年代には約400世帯中約300世帯が製造に従事していたと言われるほど盛んだった貝ボタン産業も、現在では20軒に満たない数まで減少。
安価で大量生産が可能な合成樹脂製ボタンの台頭に加え、バブル崩壊以後の景気の停滞が廃業を加速させました。
このような厳しい状況下でも各事業者は、昔ながらの技法にレーザー刻印などの新しい技術を取り入れ、新商品の開発や顧客ニーズにできるだけ対応しようと試みました。貝だけでなく、木製ボタンや雑貨を開発する事業者もあったそう。
「しかしファッション業界や問屋への依存度が高く、エンドユーザーへの直接的な販売や、新たな少数オーダーなどに対応できていないのが現状です」と話すのは同町商工会の吉岡清訓さん。
元より問屋との取引が主だったため、自社製品を自力で売る環境になく、新たな少数オーダーなどに対応できないことも多いのが現状だといいます。
「これを解決するには一般の方に向けても商売をし“小さなファンづくり”の精神で需要の拡大を目指していく必要があった」と吉岡さん。
商工会から各事業者に協力を求め、まず平成16年からスーパーマーケット・結崎サティでボタンの直売を始めた。同23年からは「川西ボタン倶楽部」と命名しECサイトを開設。
積極的な普及活動を行ってきた。当初2業者だった協力企業も現在では8業者に増え、ボタン愛好家を中心に手芸を嗜む人や縫製関係者の利用が増えている。
また近年の「本物志向」や「エシカル消費」も後押しし、貝ボタンが改めて注目されるように。貝ボタンが主流のヨーロッパでもアジア産貝ボタンの評価が見直され、日本にも出店する有名ブランドでも日本をはじめアジアの貝ボタンが使われているのだとか。
天然素材だからこその二つとない輝きと風合いが、洋服に価値をプラスし、小さいながらも魅力あふれる川西ボタン。もしかしたらあなたの洋服にも付いているかも?
Profile
川西ボタン倶楽部▶︎ http://web1.kcn.jp/kawanisityou-syoukoukai/
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