関西をもっと楽しむライフスタイルマガジン
現在の大和高田市を中心に江戸時代から一大産地として栄え、後継者不足と洋装化で1970年頃に廃絶した『大和絣』(やまとがすり)。斑鳩町在住の染織作家・亀山知彦さんはその復元に取り組まれています。
大和絣は江戸時代後期に御所町(現在の奈良県御所市)の浅田松堂(しょうどう)が伊勢の名産『松阪木綿』をヒントに考案された綿織物。
現在の大和高田、御所、橿原の各市周辺を生産拠点として、幕末から昭和中期にかけて広く流通し、奈良の名産として一時はお伊勢参りの土産物にも喜ばれました。
明治初期には化学染料の導入に伴う品質劣化で淘汰されたものの、のちに復興。白地に藍の柄が浮かぶ「白絣」を代名詞に人気を博しました。
しかし1960~70年代にかけて次第に工場が減っていき、いつしか市場からも姿を消してしまいました。
亀山さんは服飾の専門学校時代にテキスタイルに興味を持ち、愛媛県の西予市野村シルク博物館の研修生として染織の全工程を学びました。
その後は京都・西陣の手織り工房で5年間内弟子として修業し、2020年に作家として独立しました。
大和絣との出合いは1冊の染織雑誌。かつて全国的に知られていた織物が現代では作られていないということに驚いたといいます。
復元しようと決意したのは2017年。「奈良県立民俗博物館を訪問した際に、偶然、大和絣が展示されていて。この時に奈良の風土を思わせる独特の風合いに魅了されて挑戦してみようと思いました」
さらに当時、同館で学芸員を務めていた横山浩子さんがなんと大和絣の研究者という偶然も重なります。亀山さんは横山さんから大和絣の風合いや製法の全てを教わり復元への挑戦を始めます。
復元は楽ではありませんでした。一般的な紺絣の製作では糸を染めない部分を紐などで括って染めますが、白絣が代名詞だった大和絣は染めない範囲が広く、模様も細かい。
そのため、『板締め』という、凹凸のある板の間に糸を通し、上から染料を流し込んで染める技法が使われていましたが、一度廃絶した産物のために道具が現存しません。
織り機も、織り手側から奥に向かって傾斜をつけた『大和機』が用いられましたが、現存するのは民俗博物館の展示品のみ。一般的な織り機では木綿糸がよれやすく、柄合わせが難しいのです。
「道具のほとんどは使われなくなったものを安く譲り受け、補強して使っています。現存しない道具や絶えてしまった技法については、別の道具で代用したり愛媛や京都で学んだ別の技法を取り入れたりしています」
板締めの型がない染めの作業は全て手作業。糸は全部で1200本、たて糸であれば15mの長さがあります。括るだけで3週間、1反仕上げるのに2~3か月はかかるそう。
本来の絣製造は10以上の工程を分業で行いますが、亀山さんは全工程を1人で行います。
「自分で図案を描き、糸を括り、染め、織り上げた時に、イメージ通りにたての糸とよこの糸がパチッとはまるととても気持ちいいんです。職人としては分業の方が合理的ですが、1人で全工程を行う方が作家としての面白みがありますね」
こうした骨の折れる作業の末、復元に成功した亀山さんは2020年に大和郡山市の町家物語館で作品展を開催。同市の体験施設『箱本館 紺屋』で染めた井桁柄の反物やショールなどを展示しました。
「思っていた以上に反響があり、新聞やテレビなど、かなりのメディアから取材を受けました」と驚きの様子。今後は公募展にも作品を出展する予定だそうです。
「『大和絣』というものがまた日本中に知られる存在になれば」と亀山さん。庶民の暮らしに根付いた大和絣が再び日常空間に現れることを願います。
Profile
1983年、斑鳩町生まれ。40歳。
服飾系の専門学校を卒業後、西予市野村シルク博物館(愛媛県)の実習生として染織の全工程を学ぶ。2015年から京都・西陣の手織り工房に内弟子として勤め、2017年から大和絣の制作に着手。2020年に独立し、染織作家として活動している。
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