亀岡市から東京経由で世界へ! 京東都の和片(ワッペン)
こちらの可愛い刺繍のワッペン、京都でご覧になったことがある人も多いのではないでしょうか? これらは刺繍ブランド「京東都(きょうとうと)」による繊細かつ大胆なデザインのワッペン(和片)で、近年、京都土産としても愛されています。
その京東都を展開しているのが亀岡市の唐櫃越(からとごえ)にある刺繍工房、株式会社ドゥオモ。工房におじゃまして、代表かつ京東都を立ち上げた岩井左木子さんに、ブランドを立ち上げるきっかけなど、お話を伺ってきました!
・基本的な感染予防対策(マスクの着用・手洗い・手指消毒など)を徹底してください。
・発熱等の症状(発熱、咳、のどの痛み、息苦しさなどの症状)がある場合は、外出を控えてください。
「ものづくり」の場が無くなる危機感
― こちらの会社は40年近い歴史をお持ちなんですね。
岩井さん(以下略) 元々、レース屋で働いていた父が独立して、アパレルブランドやメーカーの刺繍を行う刺繍会社を始めたんです。主にバブルの頃に流行っていた、たくさん刺繍をほどこしたセーターなどを作っていました。
当時、私はまだ子供でしたが、1ブランドで1シーズン100パターンぐらいの刺繍デザインがあるので、父の仕事はそれはそれは忙しそうでした。特にサンプルを作る時期になると夜なべになるんです。もう、家には帰れない。納品スケジュールもタイトで、サンプル用の段ボールが積み上がってるんです。そして出来上がった分を毎日、大阪にある会社に納品に行くような日々で、大変だなと思って見ていました。
― お父さまの背中を見て育ったのですね。岩井さんは高校卒業後、イタリアに留学されますが、それは家業に思うところがあったのだとか?
家業をやりたいかというと、当時は「ちょっと違うかな」と思っていました。なにより納期に追われていて大変な仕事だと思っていましたから。それに、やはり外の世界を見たいという思いもあって、イタリアへファッションの勉強をしに行ったんです。
帰国後も段ボールやサンプルの山の中で仕事をするイメージができなかったので、留学中に知り合った友人とブランドを立ち上げたり、海外のブランドを買い付けて日本のショップに卸す別事業を東京で始めたんです。それはすごく楽しかったですね。
― それがちょうど2002年ぐらいですね。
そうですね。そんな頃、バブルがはじけた影響もあり、縫製や刺繍の仕事が中国など海外にシフトしていったんです。このままいくと親世代分の仕事はあるけど、ゆくゆくは廃業した方がいいのでは……という話も出てきたんです。
京都には生地屋さん、染め屋さん、型屋さんなど、繊維に関する専業工房がたくさんありますが、私の父ぐらいの年代の方が社長さんというところが多いんですね。その方たちが「この先、仕事があるかどうか分からへんから子供には継がせられない」と、廃業されていくのを見て、 もったいないなと思ったんです。
― 廃業するとイチから立て直すのは厳しいことですよね。
はい。そのうち本当に日本でものづくりができなくなり、輸入に頼るしかなくなる。そうなったら嫌だな、寂しいなと思ったんです。
子供の時から家の仕事をずっと見てきましたし、海外で様々なファッションを触ったり見たりして自社の技術がすごいことは分かっていたので、この仕事を残したいと思いました。でも、刺繍業界はだんだん先細り。それならアパレルの加工業として仕事が来るのを待っているのではなく、自分たちで仕事を作るとこから始めようと思ったんです。
自分たちで仕事を作り出す
岩井さん 何ができるかと考えた時、京都には素晴らしい伝統工芸がある一方、お土産物屋さんでは数百円という安い価格で中国製品が京土産として売られている……それを日本人だけでなく海外からの観光客も日本のお土産として買っていくことにすごく違和感があったんです。とはいえ、京都で作られている伝統工芸は高くて美術品のような値段なんですよね。
そこで、京都のお土産として手軽に買える“本物の品”を作りたいと思いました。それに私たちの工場で作っているのは伝統工芸品ではないので、実用的で日常的に使えるものにしたいと思ったんです。
岩井さん そして2007年に、京都のグラフィックデザイン会社のスリーミンさんと組んで「京東都(きょうとうと)」というブランドを立ち上げました。この名前は、現代のニッポンの伝統=「京都」と、ニッポンの今 =「東京」を掛け合わせたもので、「京都発、東京経由~世界行き。」というサブタイトルが付いています。新しい文化継承のかたち・刺繍の可能性を考え、世界にも通用するものを作りたいという想いを込めました。
面白いと思うこと、自分たちしかできないことをやる
― 京東都といえば漢字で「和片」と書く「ワッペン」がメイン商品ですが、最初からワッペンでいこう! と考えていらっしゃったのですか?
いえ、はじめは手ぬぐいを作ってそれに刺繍したり、がま口を作ったりもしていました。
ですが、当社で持っている「パンチング」技術に着目したんです。「パンチング」とは刺繍機械を動かすための指示データなのですが、このデータが作れるのも一つの技術なんですね。今はパソコンで作りますが、昔は本当に紙にパンチをしてデータを作っていたんです。この技術の上手い下手で刺繍の表情が変わったり、立体感が出たりするのですが、その技術を持っているのは大きかったですね。そこで、この技術を使って他でやっていないようなワッペンを作ろうと思ったんです。
岩井さん それでできたのが「洛中洛外図」のシリーズです。これが結構、インパクトがありました。中世の洛中に登場する人や物を100種類ぐらい作って和片にしたのですが、これが面白いと思っていただけたことから、和片でいこうということになり、「京都」や「伝統」、「日本文化」にこだわったシリーズをだんだんと増やしていくことになりました。
― 「妖怪・百鬼夜行」シリーズも人気になりましたね。
これは妖怪を100匹作りました。はじめは、そんなに作って売れる? という感じだったのですが、100種類いたからこそよかったんですよね。人気になるとマネされたりしがちですが、100種類も作るなんてことは多分、他ではマネできないと思います。そんなことをやれるのは、うちだけだろうと。それに100種類あっても売れるものは決まってくるんですよ。
― 常時売れているのは数種類ということですか。
そうなんです。ですが、そこから入って来てくださる方も結構いるんです。例えば、妖怪で一番売れるのは「化け猫」や「傘化け」けなど、よく知られているものですが、 たまに「鵺(ぬえ)」とか「小豆洗い」が好きというマニアックなお客さんが、その入口から入ってきてくださり刺繍や京東都のことを知ってくださるので、間口は広くしておきたいなというのはあります。そのように文化や背景の部分から入ってきてくださり、私たちのことを知ってくださる方が多いんですよね。
― でも、売れ筋ではなくあえて脇役も置いておくことは、企業としては難しいことですよね。
普通は売れてない部分を切って、売れている物しか作らなくなっていきますよね。これができるのは自社で作ってるからだと思います。生産を外注していたら多分、売れていないものは作れないですよね。でも社内で作っていると生産調整もできますし、あえて置いておくことの必要性も分かっていますから。
― そうすると和片の誕生には、生みの苦しみや悩みのようなものは無かったと。
アパレルブランドの刺繍がメインだった時代から、刺繍でどれだけ見せられるか、という挑戦をずっとやってきたので、それはなかったですね。でも実のところ和片でいける! とは思っていなくて、結構チャレンジでした。
でも自分たちがやりたいこと、面白いと思うことを大切にしました。今でも新しいシリーズを決める時も、売れるかどうかより、「面白さ」や「これは他でやっていない」などを重視して決めていくことが多いですね。
― 楽しく、面白いことをやろうと。
はい。それにみんなが作りやすいものを作って価格競争になってしまうと、やはり海外で作る安いものには絶対負けてしまいます。だから「自分たちしかできない」「自分たちしかやってない」部分に特化していったところもあります。
最近、作った中で面白かったのは虫のシリーズですね。糸屋さんに「何か面白い糸はありませんか?」 と聞いたら、「こんなのがありますよ」と京都の糸屋さんが作っている玉虫色の糸を見せてもらったんです。この糸は見る角度によって色が変わるのですが、元々は魚釣りの仕掛けに使う糸だったそうで。その時、そういえばデザイナーが「虫シリーズやりたい」と言っていたことを思い出して。これで作ったら面白そうだから、やってみよう! となったんです。
虫シリーズは凝っていて、透き通っている部分があったりもするんです。このシリーズはリアルなデザインではなく、大人が持っててもおかしくない、綺麗で集めたくなるようなものにしたいなと思ったんです。虫がテーマなのに子供が好きそうな方に寄っていないんです(笑)。子供向けのワッペンはたくさんあるじゃないですか。だから、それを私たちが作るのは、ちょっと違うかなと。
自分たちらしい働き方を考える
岩井さん そうやって自分たちで仕事を作ったことにより、納期スケジュールなどに振り回されなくてよくなったんです。今も外注の刺繍の仕事は受けていますが、閑散期にはうちの商品を作れるので、忙しい時とそうでない時の仕事量の差がなくなり、自分たちのペースで仕事ができるようになりました。
岩井さん そうすることで、例えば幼稚園のお迎えがある従業員の方は3時半に帰れたり、子供が熱が出しても休みやすい環境に整えることができました。そうしたら子育て中の方がパートでたくさん働きに来てくださるようになりました。だからしょっちゅう誰かが休んでいる感じなのですが、全てが外注の仕事で、納期や展示会の日程も決まっているとできなかったことですね。自分たちで仕事を作ったことで、会社そのものがすごく良い方向にいったなと思っています。
社会貢献と亀岡のブランド品を作りたい
― そういえば、亀岡市にある「みずのき美術館」(※)と共同で商品を開発されたとか。
元々みずのき美術館のオープン時に、ノベルティをうちに依頼してくださったんです。その時からキュレーターの奥山理子さんと「何か一緒に作りたいね」とずっと話していたのですが、それが2021年に叶いました。
美術館を知った時、こんな素敵な美術館が亀岡にあるんだ! と嬉しく思いました。作品は 2万点ほどあって、色使いや構図などがどれも独特で素晴らしいのです。それに、そもそも母体である障害者支援施設みずのきさんの思いにも共感していました。
※みずのき美術館:障害者支援施設みずのきの絵画教室で生まれた作品の所蔵と展示、そしてアール・ブリュット(仏:生の芸術)の考察を基本に据えた美術館。2022年に開館10周年を迎えた。
岩井さん このプロジェクトを立ち上げたのはコロナ禍が始まった頃、すごく暇になった時期があり、亀岡の他の企業さんにも状況を尋ねたところ「同じです」という回答だったので、 みんなを巻き込んで何かできないかなと考えたんです。それなら、ずっとやりたいと思っていた、みずのき美術館さんの作品を用いて、亀岡の企業さんと一緒にものづくりをしたいと思いつきました。
岩井さん みずのき美術館さんも「所蔵絵画作品を地域資源として亀岡市や亀岡の企業が用い、それがまちに還元されるのは有意義なことではないだろうか」と言ってくださったことでプロジェクトがスタートしました。まずは京都府の 京都産業21「危機克服緊急連携支援補助金」を活用し、共同で「かめおか・みずのき・ものづくり」という取り組みをはじめました。
岩井さん 2月にギフトショーに出展しますが、実はまだきちんと販売はしてないんですよ。補助金を受けた時に1か月、うちの東京スカイツリータウン・ソラマチ店で『ネコなん?イヌなん?〈みずのき美術館〉展』を開催し、そこでテスト販売しました。
その時にプレゼント用に買ってくださった方たちが、お渡しする方にストーリーも併せて伝えてくださったようで、そこに「いいね」と共感いただいた人たちが今度は他の商品も欲しいと問い合わせがあったんです。こういう形で社会貢献とアートがつながることに興味がある方が多いのかなと思いました。
― アート作品だから、社会貢献だからと思って買うのではなく、ステキだなと思って買ったら社会貢献ができた……という流れもいいですね。
そうですね。アートが分かる人、 アール・ブリュットだから買うだけではなく、純粋にカワイイからと商品を買っていただけることで、社会貢献やSDGsといった循環社会の一員として、多様な社会に目を向けるきっかけになれば嬉しいですね。
現在は同じ亀岡市の加藤良株式会社さんが袋小物の製作をしてくださっていますが、もっと参加企業さんを増やしていきたいですね。みずのき美術館さんの想いや作品に賛同してくれる企業さんと一緒になって、「亀岡といえば!」というような地域のブランド品、お土産物を作りたいです。そして亀岡だけでなく、東京など首都圏や海外にも出ていきたいなと思っています。自分たちだけではなく、 色々な企業が盛り上がって、もっとまち全体が活性化したらいいなと。そして亀岡市にこういう活動をしてる人たちがいることを知ってもらえたらいいなと思っています。
「京東都」だけでなく、新しくスタートした「かめおか・みずのき・ものづくり」の今後の展開も楽しみですね。KYOTO SIDEでは、これからの活動にも注目していきたいと思います!
■■INFORMATION■■
京東都
京都府亀岡市篠町王子唐櫃越 1-191
TEL 0771-24-0157
オンラインショップ
※京都市東山区にあった京東都本店は2022年11月に閉店しました。実店舗は下記の東京スカイツリータウン・ソラマチ店となります。
京東都 東京スカイツリータウン・ソラマチ店
東京都墨田区押上1-1-2 東京スカイツリータウン・ソラマチ4F イーストヤード10番地
TEL:03-6274-6840
営業時間:10:00~21:00
不定休