舞鶴市・雨引神社の「城屋の揚松明」~夏の夜空を焦がす京都の火祭り~
京都のお盆を彩る火の祭典と言えば「五山の送り火」が全国的に有名ですが、他にも京都府内には神秘的な火祭りがいくつもあります。今回は、海の京都エリアに位置する舞鶴市で毎年8月14日に執り行われる「城屋の揚松明」(じょうやのあげたいまつ)をご紹介します。
「松上げ」と「揚松明」の違いは?起源を辿る
「城屋の揚松明」は京都府舞鶴市城屋の雨引神社(上写真)で460年続くお盆の伝統行事。大蛇に見立てた高さ約16メートルの大松明が夏の夜空を焦がす様は圧巻。京都を代表する火祭りです。京都府登録無形民俗文化財、舞鶴市指定無形民俗文化財にも登録されています。
京都でお盆に行われる火祭りと言えば「松上げ」もよく知られています。若狭街道周辺の里山で行われる松上げは火の神様を祀る愛宕山を起源とする歴史をもち、高い柱状の大松明の上に火のついた松明を投げ上げ着火させるという形式が一般的です。
一方で「城屋の揚松明」の起源は諸説あり、『舞鶴市史』によると「雨乞い」説と「大蛇退治」説があるとのこと。
もともと雨引神社は雨乞いの神様を祀っていましたが、そこに大蛇伝説が加わり「蛇神様」としても崇められるようになったといいます。
雨乞い説
雨引神社はその起源について、正確な記録は残されていませんが、古くから伝わる話があります。ここ城屋の開拓時、長期間の日照りで作物が枯れてしまった際、一人の偉人が山中で水源を発見。その後、神のお告げを受けて大松明を灯したところ、奇跡的に雨が降り始め、村民たちは感謝の気持ちを込めて雨引神社を建立しました。
さらに、江戸時代には大干ばつが続きましたが、藩主である牧野氏が雨引神社で大松明を焚いたところ、その後大雨が降り、神の徳をたたえることとなったそうです。
大蛇退治説
城屋を治めていた戦国時代の武将・森脇宗坡(もりわき そうは)の娘が大蛇に飲み込まれ、その大蛇を退治したという伝説に基づいているそう。
ある日、隣村に嫁いだ宗坡の娘が里帰りの途中で大蛇に食われてしまいました。怒りに燃えた宗坡は、高野川上流の蛇ヶ池で大蛇と戦います。宗坡は大蛇を見つけて矢を射ましたが、大蛇は毒焔を吐いて反撃。宗坡は退いて隠迫という場所で大蛇を三断し、ついに討ち取ったのです。
その後、宗坡は討ち取った大蛇の霊を慰めるため、頭部を城屋に、腹部を野村寺に、尾部を由里にそれぞれ祀りました。城屋に祀られたのが雨引神社だと伝わります。
地域住民一丸となり伝統をつなぐ「城屋の揚松明」見どころ
祭りの当日、朝早くから城屋区の総出で準備がスタート。長さ16メートルの杉丸太の最上部に直径22メートル余りの竹輪を編み、麻殻(おがら)を組み付けて外側の部分を作ります。
その後、麻殻を隙間なく詰め込み、杯(さかずき)型に成形した中心部に建てた真竹の先端に御幣を取り付けることで、「ハチ」と呼ばれる大松明が完成。小松明は長さ30センチ程度の細かく割った檜を束ねて作ります。
午後10時になると、地区の青年会が川で身を清め(上写真)、雨引神社・神殿横の小宮の前でまずは小松明に点火します。その後、大松明を中心に円形になり、リーダーの掛け声と共に小松明を投げ上げ大松明に点火。
大松明は勢いよく燃え盛り、夜空を焦がす様は勇壮で見応え抜群。最後にハチが焼け落ちそうになるタイミングで大松明を倒し、祭りのクライマックスを迎えます。
舞鶴の夜空を盛大に炎が染め上げる「城屋の揚松明」は、地域住民が一丸となり460年に渡り守り続けるお盆の伝統行事。もちろん現地で見学することも可能です。ただし、夜遅くから始まる行事なので、宿泊場所や移動方法もしっかりとチェックして、訪ねてくださいね。
【舞鶴市公式youtubeより】城屋の揚松明
■■INFORMATION■■
城屋の揚松明
問い合わせ:0773-66-1019(舞鶴市文化振興課)
場所:京都府舞鶴市城屋 雨引神社
JR西舞鶴駅から車で10分程度
*駐車場には限りがあるため、乗り合わせもしくはタクシーをご利用ください
【行事スケジュール】
2024年8月14日(水)神事20:30~、着火22:00
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