関西をもっと楽しむライフスタイルマガジン
今回はJR奈良駅から快速で15分、京都南部の井手町へ。奈良時代に当時の権力者だった左大臣橘諸兄(たちばなのもろえ)がこの地に居を構えて以降、小野小町や藤原俊成といった歌人らが愛した歌枕の里でもある。町内に点在する「歌碑」を巡りながら、田園風景広がる初春の井手町を散策。
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【歩行距離:約6km】
【目次】
❶ 銘木カフェ SHIKI
❷ 玉川の河川敷
❸ 六角井戸
❹ 橘諸兄公旧址
❺ 井手町まちづくりセンター椿坂
❻ 小野小町塚
❼ 玉津岡神社
❽ 井堤寺跡
❾ 蛙塚
➓ 大西商店
玉水駅前すぐ。製材業・建築事務所だった建物を改装し、先代が大事にしてきた貴重なムク木を用いたほっこりカフェ空間。名物の「山背(やましろ)オムカレー」で腹ごしらえ。2階にはレンタルスペースも。
日本六玉川の一つ。水が清らかで古来和歌にも詠まれてきた。春には500本のソメイヨシノと山吹が咲く名所。昭和28年の南山城大水害で一時はその景観を失ったが、地元の尽力により近年復活。両岸に20基ほどの歌碑が建つ。平成の名水百選。
「駒とめて なほ水かはむ 山吹の 花の露そう 井手の玉川」(馬をとめて水を飲ませようか。山吹の花の露が垂れる井手の玉川で)藤原俊成 新古今和歌集
「葎はふ賤しきやども 大君の 座さむと知らば 玉敷かましを」(雑草の茂るような家でもいらっしゃると知っていたなら、玉石を敷いておくのでしたのに。聖武天皇を迎えた際に詠んだ歌。)橘諸兄 万葉集
「橘諸兄(684〜757)」敏達天皇の後裔で、父は美努王、母は橘(県犬養)三千代。光明皇后の異父兄。元は葛城王と称したが、臣籍降下して橘姓となる。聖武天皇を補佐し、大仏建立や恭仁京遷都に関わる。橘氏の本拠地として井手を開発し「井手の里」を世に広めた。
「色も香も なつかしきかな 蛙鳴く 井手のわたりの 山吹の花」(蛙が鳴く季節になると、井手のあたりの山吹の花も散り染めて、花の色香の移ろいにも似て、若き日々をなつかしく思うことよ)小野小町 小町集、新後拾遺和歌集
540年に下照比売命がこの地に降臨したのが起源。731年に橘諸兄が創祀したと伝わる。長い石段を上った本殿からは、のどかな井手の里を一望できる。
橘諸兄が母・橘三千代の一周忌に氏寺として建てた奈良時代の寺跡。諸兄が西方浄土を形にしようと境内から玉川にかけて山吹を植えたことで「井手の玉川」、「山吹の玉川」として広まる。小野小町が出家して同寺で余生を過ごした伝説も残る。
「まひしつつ 君がおほせる なでしこが 花のみ訪はむ 君ならなくに」(慈しんであなたが育てたなでしこの花。私は花を楽しみにだけ訪れようなどと思う人ではないですよ。丹比真人国人が諸兄の長寿を願って詠んだ歌への返歌)橘諸兄 万葉集
玉川保育園の裏側(北)にある小さな水場には、石碑とカエルのかわいい石像が3体。井手町は、古来山吹とともに「蛙(かわず=カエルのこと)」の名所であり、玉川の蛙を詠んだ歌は、なんと83首を数えるとか。
「あしびきの 山ぶきの花 ちりにけり 井手のかわつは 今や鳴くらむ」(山吹の花が散ったことだ。今頃井手の蛙は盛んに鳴いていることだろう)藤原興風 新古今和歌集
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