鬼女?宇治橋の守り神?「橋姫伝説」の真実
今日8月4日は「橋の日」(8=は、4=し)です。今回は橋の日にちなんで、宇治の橋姫伝説をご紹介します。世にも恐ろしい鬼女として現代に伝わる橋姫に隠された真実とは……? ちょっぴり怖く、切ないお話をお楽しみください。
・基本的な感染予防対策(マスクの着用・手洗い・身体的距離の確保など)を徹底してください。
・屋外の活動も慎重にしてください。
・発熱等の症状(発熱、咳、のどの痛み、息苦しさなどの症状)がある場合は、外出を控えてください。
伝説の中で語られる恐ろしい鬼姫
最恐の呪い「丑の刻参り」の原型
草木も眠る丑三つ時(※)。髪を振り乱して藁人形に釘を打つ女……。これは、日本で昔から伝わる呪いの儀式「丑の刻参り」のワンシーンです。実はこの原型となったのが、宇治の橋姫神社に祀られている“橋姫”だといわれています。
※丑三つ時…午前2時〜2時半
嫉妬に狂い、鬼と化した橋姫の物語
神社で祀られている神様が、なぜ世にも恐ろしい呪いの原型となったのか。その理由は、鎌倉時代の軍記物語『平家物語』にありました。『平家物語』の中に収録されている「剣巻(つるぎのまき)」には次のような話が記されています。
嵯峨天皇の時代に、ある公卿の娘が嫉妬にとらわれて、貴船神社に7日間こもり、「貴船大明神よ、私を鬼神に変えてください。殺したい女がいるのです。」と祈りました。哀れに思った明神は、「鬼になりたければ、姿を変えて、宇治川に21日間浸かりなさい。」と告げました。
娘は髪を5つに分けて結び、角にみたて、顔には朱をさし、体に丹を塗って全身を赤くしました。さらに、三脚の鉄輪を逆さにして頭に乗せ、その鉄輪に3本の松明を差し、両端を燃やした松明を口にくわえました。
夜になると、その姿のまま南へ向かって走り、宇治川を目指します。
貴船明神に言われた通り、21日間宇治川に浸かると、娘は鬼になりました。これが宇治の橋姫と呼ばれることとなったのです。
そして、鬼になった橋姫は、妬んでいた女やその縁者、相手の男の親類を殺してしまいました。さらに、暴走が止まらなくなった橋姫は、関係のない人まで手にかけてしまいます。
次第に都では、「夜は鬼が出るから外に出てはいけない」となりました。この噂を聞きつけた宮中は、源綱(みなものとのつな)を遣いに出し、都を見回りさせました。
すると、一条堀川の戻橋で女性を見つけます。「夜道は危ないですから、家まで送りましょう。」と、女性を馬に乗せましたが、この女が実は橋姫なのでした。綱は格闘
の末、橋姫の腕を切り落とし、退治したのでした。
怖いだけじゃない?橋姫の素顔とは
縁切りの神様として信仰される橋姫
この、頭に炎を乗せ髪を振り乱す姿が、のちに丑の刻参りでも用いられ、世に広まりました。そして、橋姫=嫉妬深く怖い女、鬼女というイメージがついたのです。
“嫉妬深い”というイメージから、橋姫は「縁切りの神」としても知られるようになり、現代でも結婚を控えている男女が橋を渡ると、橋姫が嫉妬して2人の中が壊してしまうと恐れられているほど。婚礼の際には橋を迂回して渡った、という人もいるのだそう。
和歌で詠まれる橋姫
また、橋姫は『平家物語』で鬼になる前は、和歌で詠まれることもありました。
『源氏物語』最後の十帖を総称した「宇治十帖」にある「橋姫」の巻では、薫君が、都から離れた宇治にひっそりと暮らす大君の寂しさを思い、歌を送ります。
橋姫の 心をくみて 高瀬さす 棹のしづくに 袖ぞぬれぬる
(宇治の橋姫のような、寂しい心を察して、浅瀬にさす舟の棹のしずくに袖を濡らすように、私も涙で袖を濡らしています。)
この歌にある“宇治の橋姫”とは、『古今和歌集』に載っている、
さむしろに 衣かたしき 今宵もや 我を待つらむ 宇治の橋姫 (巻第十四恋歌四 689)
(筵(むしろ)に1人分の衣を敷いて、今宵も私が来るのを待つのだろうか、宇治の橋姫は。)
から来ているとされています。宇治の橋姫は、橋姫本人ではなく、詠み手(男)にとって橋姫に例えたくなるほどの女性という説もあるのだそう。どちらにしても、遠く離れた恋人を思う歌で、薫君も、遠い宇治に住む姫君に思いを馳せて歌ったのですね。この2つの歌で例えられている橋姫は、きっと美しく穏やかで、鬼女とは真逆の女性なのでしょう。
宇治に伝わる橋姫の伝説
そもそも橋姫神社とは?
橋姫を祀る、宇治の橋姫神社にも注目してみましょう。
橋姫神社は、宇治橋のすぐ近く、あがた通りに面しています。ひっそりとしているので、よーく見ないと見逃してしまいそう。こちらには瀬織津比咩尊(せおりつひめ=橋姫)を祀る橋姫社と、水運の神である住吉明神を祀る住吉社の2つが鎮座しています。神社の中はこじんまりとしていて、橋姫社と住吉社の2つが並ぶのみ。参拝客も少なく、静寂に包まれた神社です。
宇治橋を守る神様としての橋姫
橋姫神社はもともと、橋を守る神様として宇治川にかかる宇治橋(646年)を守り、江戸初期には三の間に祀られていたとも伝えられています。
その後、江戸時代には宇治橋西詰に祀られていましたが、明治3年(1870)の大洪水による流失を契機として、明治39年(1906)に現在の場所に再建されました。橋姫はもともとは、橋の守り神だったのですね。
橋を守る神様から、嫉妬に狂う鬼へ
なぜ橋を守る神様である橋姫が、おそろしい鬼になってしまったのか。
それは、橋姫が女性の神様であり、土地(川)を守る神様だったからです。女性の神様というだけで嫉妬深い、というイメージがつき、さらに土地を守る神も、他の土地のことを褒めるのを嫌うと言われていました。この要因が重なることで橋姫=嫉妬深いという言い伝えが生まれたのです。
そして鎌倉時代には『平家物語』を皮切りに、嫉妬に狂った女として扱われ、後世に「鬼女」と伝わっているのです。
古今和歌集や源氏物語が書かれた時代から、鎌倉時代、江戸時代と、時代の変化とともに、本や巻物で民衆にもたくさん情報が集まるようになりました。すると、橋姫を鬼女と書く人もいれば、麗しい姫ととらえる人など、解釈がたくさん生まれます。その中の一つとして、おそろしい橋姫伝説が生まれたのかもしれません。
江戸時代のガイドブックと言われる、『宇治川両岸一覧』(1860年頃)では、橋姫神社の紹介の中で、橋姫について、「貴船の社に七夜丑の刻時参りて……悪鬼と化す これを橋姫といふ也」や「……源氏物語に橋姫の巻あり」と紹介しています。この時からすでに、橋姫はいろいろな面を持っていたのですね。
橋姫は、今ではすっかり怖いイメージがついていますが、実は、宇治の要衝である宇治川を守る、大切な神様でもあるのです。
8月4日の橋の日にちなんで、橋姫神社にお参りしてみてくださいね。
■■INFORMATION■■
橋姫神社
宇治市宇治蓮華46
境内自由
■■記事協力■■
宇治市源氏物語ミュージアム
『源氏物語』をテーマにした唯一の博物館、宇治市源氏物語ミュージアムの記事はこちら!