TOP ローカル 京都 ホスト国ウズベキスタンと舞鶴市の感動の実話に迫る!!舞鶴市は東京オリンピックのホストタウン

ホスト国ウズベキスタンと舞鶴市の感動の実話に迫る!!舞鶴市は東京オリンピックのホストタウン

2019.11.28
【写真提供:舞鶴市役所】ウズベキスタン文化芸術訪問団の舞鶴公演より

舞鶴市はウズベキスタンの東京オリンピック・ホストタウンです。

つい先日、記念事業としてウズベキスタンのトップアーティストたちで構成された文化芸術訪問団が舞鶴公演を行ったばかり。

この記事を読んでいただいて、ぜひこの機会に舞鶴市立赤れんが博物館、舞鶴引揚記念館を訪れ、肌で感じてください。壮大な歴史のストーリーに思いを馳せることができますよ!それでは舞鶴とウズベキスタンの関係に迫ります!!

そもそもウズベキスタンってどんな国?

日本から飛行機で8時間、中央アジア屈指の観光地

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【写真:フォトライブラリー】ウズベキスタンの世界遺産サマルカンドにあるシェルドル・メルドセ

ウズベキスタンは関西国際空港から直行便の飛行機で約8時間、日本から6400㎞離れた中央アジアに位置しています。1991年(平成3)ソ連の解体にともない独立後、ウズベキスタン共和国となりました。首都はタシケント。

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舞鶴市立赤れんが博物館の展示パネルより

人口は約3,000万人を数える他民族国家で、約7割がウズベク人。現在130ほどの民族が暮らしています。

かつて「シルクロードのオアシス」として古くから栄えたウズベキスタン。サマルカンドは「青の都」として中央アジア随一の観光地と言われており、サマルカンドブルーが映えるフォトジェニックなイスラーム建築群はSNSでも注目されています。

ウズベキスタンの人にインタビュー成功!日本と文化が似ていた

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ウズベキスタン文化芸術訪問団のみなさん

ウズベキスタン文化芸術訪問団の方に特別にインタビューをさせていただきました。

――舞鶴に来られた感想は?

一番感動した風景はとっても緑が多くて自然豊かなところ。空気がとても美味しいですね。十数年前、ウズベキスタンの高級ホテルの横に日本庭園ができたのですが、ウズベキスタンの人は庭園の印象から、日本がとても美しい国だとみんな思っています。桜や石庭もあるんですよ。

――日本との共通点はありますか?

文化が似ていると思います。例えば、お年寄りを敬ったり、おもてなしの心を大切にしたり。お茶を飲む文化もあるんですよ。

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【写真:フォトライブラリー】ヒヴァのモスク

――日本人におすすめの観光地はありますか?

サマルカンド、ブハラ、ヒヴァの三大遺跡はもちろんですが、まず最初に首都タシケントで「ナヴォイ劇場」を必ず見てほしいですね。そして最近、タシケントは近代的なビルがたくさんできているので、そちらへも立ち寄ってほしいです。

また、来年2020年の9月には大きな音楽祭を開催する予定です。18-19世紀の風景が再現される中、ウズベキスタンの伝統的な音楽を聴くことができます。ちょうど9月はフルーツがすごく美味しい季節なので、ぜひお越しください!

日本人抑留者が残したウズベキスタンの名建築「ナヴォイ劇場」

意外に知られていない!シベリア以外の抑留地もあった?

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舞鶴引揚記念館内、抑留生活体験室

「シベリア抑留」という言葉、一度は耳にしたことがある方が多いと思います。

1945年(昭和20)8月15日、第二次世界大戦が終結した後、23日までソ連軍との戦闘は続き、ソ連軍は満州(中国東北部)や当時日本の領土だった朝鮮半島や南樺太に進軍してきました。その際、多くの日本兵や民間人はシベリアをはじめとする中央アジアにあるソ連領内の様々な地域に連行されることになります。

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舞鶴引揚記念館内、シベリア抑留者が暮らしていた施設の模型

人々は過酷な労働環境の中、土木工事や森林伐採、鉄道の建設、建物建築などの重労働を強いられ抑留されることになるのです。その数は60万人ともいわれ、ウズベキスタンには約2万5,000人の抑留者が送られました。

一生懸命に働く日本人抑留者に心打たれたウズベキスタンの人々

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ウズベキスタンの紙幣にも描かれているナヴォイ劇場

ウズベキスタンへ送られた抑留者たちは、水力発電所や学校などの建設に従事しましたが、中でも最重要任務となったのは「ナヴォイ劇場」というオペラハウスの建設。こちらの劇場は457名の抑留者「第4ラーゲル隊」とウズベキスタンの人々と共同で1945年から47年(昭和20-22)にかけて建設工事が行われました。

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舞鶴引揚記念館の展示より、抑留中の食事

劣悪な労働環境の中、手を抜くことなく一生懸命働く日本人の姿に心打たれたウズベキスタンの人々は、こっそり食べ物を差し入れするなど、当時から日本人に好意的だったと伝えられています。

そのようなことからウズベキスタンでは母親が子供に「日本人のようになりなさい」と言って、教育していた方もおられたそうです。

ウズベキスタンの人々の命を災害から守ったナヴォイ劇場

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【写真:フォトライブラリー】ウズベキスタンの首都タシケントにあるナヴォイ劇場

完成から約20年後の1966(昭和41)年にタシケント市の中央を大地震が襲いました。街の建物は約70%倒壊したにもかかわらず、日本人が建設に従事したナヴォイ劇場は壊れることがなかった数少ない建造物の一つ。

市民の避難所にもなっていたそうで、多くの人々の命を救いました。それがきっかけとなり、日本人の品質へのこだわりや技術力が高く評価されました。今でも地震が起こったら日本人の作った建物に逃げろ!と現地では言われているそうです。

海外から66万人を迎えた“引き揚げ”のまち「舞鶴」

ナヴォイ劇場を建設した第4ラーゲル隊も舞鶴港へ

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舞鶴引揚記念館展示パネルより

ナヴォイ劇場を建設した日本人抑留者のほとんどが、ウズベキスタンから舞鶴港へ引き揚げてきました。

第二次世界大戦が終わった後、満州や朝鮮半島をはじめ南太平洋など多くの国や地域に残された約600万人以上の日本人の“引き揚げ”が始まります。

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舞鶴引揚記念館内では引揚船の模型を展示

全国に18か所、引揚船を受け入れる港が設置され、舞鶴港もその一つです。1945-1958年(昭和20-33)の間、主に旧満州や朝鮮半島、シベリアからの船を受け入れました。その数は346回、受け入れ人数は66万人に及びます。

舞鶴市民が引揚者を「おもてなし」

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舞鶴引揚記念館、展示パネルより

戦後の食糧難の中でも、舞鶴市民は戦争で傷ついた引揚者たちにお茶やふかした芋を振る舞うなど、温かく迎えたそうです。

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舞鶴引揚記念館内展示資料より、帰国大演芸会のポスター

引き揚げ後も続いた抑留者たちの交流

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【写真提供:舞鶴引揚記念館】

ナヴォイ劇場を建設したメンバーで結成された「タシケント第4ラーゲル会」は、1949年から第4ラーゲル隊の隊長が亡くなった2009年まで61回に渡って、年1回のペースで交流会が開催されました。1991(平成3)年には、引揚記念館に桜の記念植樹を残しています。

平和を願い平和交流活動を続ける、抑留者の今

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【写真提供:舞鶴市役所】ウズベキスタン共和国文化大臣より贈られた民族衣装を羽織る新家さん

会員の高齢化に伴い亡くなった方も多いのですが、大阪府高槻市在住の新家苞(にいのみ しげる)さん(現94歳)は今でもご健在で、ウズベキスタンと日本の交流を深めるために尽力されています。

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【写真提供:舞鶴市役所】ウズベキスタン文化芸術訪問団の舞鶴公演より

新家さんは過去に4度、ウズベキスタンに足を運ばれたことがあるそうで、つい先日2019年11月18日に行われた「ウズベキスタン文化芸術訪問団公演」のセレモニーでは、ステージに上がり元気な姿を見せてくださいました。

「これからもどんどん交流していただきたいです。関空から8時間で行けるので皆さんぜひウズベキスタンへ行ってください」と力強くコメントされました。

知られざる歴史を辿ることができる舞鶴の2大博物館

ナヴォイ劇場の“れんが”を展示!世界で唯一の“れんが”の博物館

舞鶴市立赤れんが博物館

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舞鶴は1901(明治34)年に海軍の鎮守府が置かれたため、明治から大正にかけて建設されたれんが造りの建物が数多く残る“赤れんがの町”として有名です。

こちらは1993(平成5)年に開館した舞鶴市立赤れんが博物館です。世界42か国から約2000点の資料を収集し、そのうち約300点を展示しています。

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2F「日本人とナヴォイ劇場」のコーナー。ウズベキスタン抑留者でありナヴォイ劇場の建設に従事した「タシケント第4ラーゲル会」メンバーの新家苞(にいのみ しげる)さん(現94歳)が1994年(平成6)に墓参のためウズベキスタンを訪問された際、当時のナヴォイ劇場の支配人より受領した「ナヴォイ劇場のれんが」を常設展示しています。

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新家さんが舞鶴市へ寄贈された1947年(昭和22)製造のナヴォイ劇場のれんが。重さは約3キロ

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1903(明治36)年に旧海軍の魚雷を格納する倉庫として建設された赤れんが博物館の建物。鉄骨とれんがを組み合わせた建造物としては日本では最も古いものの中に入るといわれています。新しい鉄骨で耐震補強はされているものの、当時アメリカのカーネギー社から輸入した鉄骨は今も現役。

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1Fは主に世界のれんがを展示。赤れんが博物館で最も古いのがこちらのくさび形文字入りのれんが。なんと約4,200年前、メソポタミア文明の時代に作られたものなんです!

れんがの歴史は古く、建築の材料として使われるようになったのは今から1万年くらい前から始まったといわれています。ぜひとも世界でも珍しいれんがの博物館に足を運んでみてください。

akarenga-park.com

引揚と抑留の歴史を後世に伝える資料570点が「ユネスコ世界記憶遺産」に登録

舞鶴引揚記念館

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第二次世界大戦が終結してから13年に渡り、舞鶴の人々は最後まで多くの引揚者を迎え入れました。1988(昭和63)年に設立された舞鶴引揚記念館は2018(平成30)年にリニューアルオープン。シベリア抑留体験室や抑留者の回想絵画展示などが新設されました。

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令和元年度第3回企画展「抑留の中のやすらぎ~ほっとする瞬間~」で展示中の回想記録画。抑留中の生活を知ることができる。2020/1/13まで

2015(平成27)年には「ユネスコ世界記憶遺産」に登録。資料のタイトルは「舞鶴への生還 1945-1956 シベリア抑留等日本人の本国への引き上げの記録」で570点の資料が登録されました。

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白樺日誌。抑留中の心情を白樺の皮に文章や和歌などでつづったことから白樺日誌と名付けられた

他に、登録されているユネスコ世界遺産には、すごい資料があるんです!海外ではアンネフランクの日記やベートーヴェンの譜面。国内では藤原道長の日記、御堂関白記などです。

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常設展では、東京オリンピックでのホスト国を機に、ウズベキスタンから舞鶴市へと贈られた品々を展示中。ぜひご覧ください!

m-hikiage-museum.jp

日常が変わる!ぜひ舞鶴に足を運んで「実物」を見てほしい

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ウズベキスタン共和国オリンピック委員会から贈られた記念品

 今回、ウズベキスタンの訪問団の方や元抑留者の方とお会いしました。博物館で当時の資料を前に史実をうかがっている最中、背中がぞくぞくとし何度も鳥肌がたちました…。ぜひお友達やご家族をお誘いのうえ、足を運んで「実物」をご覧になってください!日常の大切さ、平和のありがたさを再認識する良いきっかけとなりますよ。

オリンピックのホスト国を招いている自治体は日本全国にたくさんあります。お住まいの地域のホスト国と日本との関係や歴史に興味をもっていただくことで、より交流が深まるかもしれませんね。

■■INFORMATION■■

舞鶴市立赤れんが博物館
0773-66-1095
舞鶴市字浜2011
9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日は年末年始12/29~1/4のみ
大人300円※令和2年4月1日より大人400円
※引揚記念館との共通券は400円、令和2年4月1日より舞鶴引揚記念館との共通券は600円
舞鶴若狭自動車道「東舞鶴IC」から車で約10分
Pあり

舞鶴引揚記念館
0773-68-0836
京都府舞鶴市字平1584
9:00~17:00(入館は16:30まで)
毎月第3木曜日定休(8月と祝日除く)、年末年始(12/29~1/1)休館
大人300円※令和2年4月1日より大人400円
※赤れんが博物館との共通券は400円、令和2年4月1日より舞鶴引揚記念館との共通券は600円
舞鶴若狭自動車道「舞鶴東IC」から車で約15分
Pあり

 

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